1968年、
水原茂監督率いる
中日ドラゴンズから
ドラフト1位指名され入団。少年時代から阪神タイガースの
村山実投手に憧れており、村山と同じ背番号11を付けたかったが、空いていなかったため数字を倍にした22を希望した。後に中日のエースナンバーである20に変更後も非常に愛着のある番号だったという。入団3年目の
1971年に肘を痛めてから速球は影を潜めたが、かわりに変化球を駆使し、先発・リリーフとして活躍した。
与那嶺要監督時代の
1974年には初代
最多セーブのタイトルと
沢村賞を獲得し、巨人のV10を阻むチーム20年ぶりの優勝に大きく貢献した。この「巨人のV10阻止」の瞬間のリーグ優勝の際の胴上げ投手となっている。
近藤貞雄監督時代の
1982年、自身2度目のリーグ優勝を機に現役を引退。現役時代の通算成績は、146勝121敗34セーブ。